感動したい、させたい病
スポーツ観戦はそんなに嫌いじゃないんですが、むしろ競技によっては積極的に見ているわけですが、日本のスポーツの報道の仕方はあまりよくないと思ってます。中二期に気づいたことだけれど、今でも変だな思う気持ちは変わらないので、多分中二病の気の迷いによるものだったというわけでもないのでしょう。
台風の影響で、11日に夏の甲子園が始まりました。で、早速その日の夜には、出場選手の亡くなった家族が云々とか、スタンドで応援している吹奏楽部員がどうとか、そういう報道がされていました。
まさか、「付加価値」をつけないと、日本人はろくにスポーツ観戦もできない、そう思われてるんでしょうか。サッカーのワールドカップ4回分くらい考えてみた結果、おそらく「感動がなきゃつまらない」「感動を人為的に作り出そう」という考えが、どうも見る側にとっても作る側にとっても主流になってしまっているんじゃないかという結論に至りました。特に学生スポーツでそれが顕著です。
なんて思っているところに、丁度今年の選手宣誓の映像がTVに流れまして。下は結びの部分。TVニュースで聞いたものを、念のためいくつかのニュースで確認しています。
今まで支えていただいた方々に感謝し、そして全国の野球を愛する人々に夢、感動を与えます。
一言。「感動を与える」だなんておこがましい。
決して宣誓をした選手個人を責めているのではありません。そういう宣誓が許容されうる大会にしている人達のことを何だかなあと思うのです。あーあ、高校生の子にそう言わせてしまったなあと。
表現をする仕事をしている人でも、プロのスポーツ選手でも、「感動を与えます」なんて自分で言ってる人いないでしょう。何か容易でないことを成し遂げたり、想像を超えた現象が起きたことを目の当たりにした結果の副産物が「感動」じゃないでしょうか。
高校野球なんて言ってしまえば守備ザルなんですから、野球を愛している人ほど感動体質にNoを突きつけたらいいのにと思うんですけどね。両チームにそれぞれ2桁得点が入ったら、馬鹿試合と呼んだっていいじゃないですか。何故、高校野球だったら聖域視するのでしょう。
そういえば「吹奏楽の旅」なんかも敢えて見てなかったなあ。自分のフィールドに近ければ近いほど、違和感が大きくなる。少し前に、海外へドキュメンタリー番組を撮りに行った日本のスタッフも批判されていましたね。ドキュメンタリーなのに「創ろう」とするから。
ちょっと感動病をこじらせすぎじゃないですかね、日本は。